極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

続・反消費の子

私の母は無駄遣いや贅沢とは無縁の性格だ。さっぱりした性格で働き者で家の隅々までが綺麗に整えられていた。切り花が飾られていて、布団は良く干されてふかふかで、シーツはいつも糊が利いて清潔だ。しかし、テレビアニメの赤毛のアンの家のように洋服は地味だが食器類やベッドカバーの柄や家具は伝統的な趣味の良いものが集められているという風情はない。自然や生活に根ざしたこだわりの調度品、と呼べるものはなく、デパートではない庶民向けのスーパーで慎ましくそろえられたものだ。

自然豊かで自然とともにある生活環境であれば、母の勤勉でこざっぱりとした労働生活はとてもセンスのいい調度を生んでいただろう。しかし、都会の吹きだまりで「中流の下」か「下流の上」あたりに格付けされた生活では自然の恩恵から遠く、どこか空洞がある、充実していない「文化」を享受するだけとなってしまった。

私は善き人々である父と母が子どもの頃の貧しい生活をつらい思い出ながらも懐かしんで語り合っているのを聞く。もう老境にある二人には戦争時代の話ですらとても楽しそうだ。

自然とともにある生活に回帰する若者たちは良い選択をしていると思う。