極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

自分の人生、謝らないで

あんまり謝らないんだよ、自分の人生だから、とYさんに話す。「アドバイス」すると反発があるかも、と思うとなかなか言えないが、これがアドバイスかどうかと考える前にそう言ってしまったよ。その結果はどうなるのかしら。メンタルトレーニングの要素入りのマンガをそっと進めてみたが、こちらはきっぱり断られた。某アーティストの歌が沁みてきた、とジブンガタリをした段階で、ワタシ自身が線を引かれてしまったのかも。いやいや、そのマンガが単なるスポ根と思われただけやな。

ドラッガー橋本治を並べて読んでいる。ドラッガーは、人間の社会は、個人の能力や強みを活かす方向での貢献によって、成り立つ、といったことを書いている。

藤屋伸ニ氏のダイジェスト本を正しく引用すると、

「人は自分の価値観に従い、自分の強みで社会に貢献する責任があり、それが本当の幸せなのだ」

これが、目標と自律によるマネージメントだそうです。

わたしがこれに納得するのは、道徳主義からではない。地球環境や資源を蕩尽する方向に社会や科学や学問が進展するのは、人が個々の能力を楽しむならば、必然なのではないかと思うからだ。進歩や成長はそれ自体が魅力のある価値であるし。

橋本治のほうは、近代の考え方が明治時代の文学作品にどのように影響しているかを書いている。自然なようで全く自然でない自然主義についても。

ああ、しかし、雑な頭だ。カラダの筋肉を鍛えるように、頭や脳細胞や神経回路も常に動かして鍛えなければならない。カラダの方の柔軟性は少し高まりはしたが、低いままでとどまっている。いや、それにせよ、深く曲げることへの抵抗が減ってきて、曲げようとしている自分を発見することがある。この子を育ててやりたい。この子がどこまで成長するのか見てみたいと思うのだ。