極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

七苦

冲方丁の小説の書き方本をチラ読み。世の中に物申すモノが自由に書けること自体がいいと思った。小説なんか誰でも書ける。
新しい万能細胞(?)のSTAP細胞を発見したという小保方氏のネイチャー誌論文に疑義が生じている。そこに画像の転用が行われており、そもそも彼女の博士論文にコピペされている箇所があったという。しかも、氏はそうした画像の転用がNGとは思わなかったといい、学者としての素養や倫理観に欠けている、という見方もある。そんな低レベルのことが疑われる人のマスコミ会見にそもそもどうしてムーミン柄入りの壁とか割烹着とか用意させていたのか、理化学研究所の見解は分からないけれど。定石をふまえ、先人の研究成果をまとめるという入り口から書かねばならない学術論文の作法なんて、出来ない人には出来ないんだよー。人の言うことをそのまま繰り返すなんて、そんな簡単なことじゃないんだよ。そんなレベルを踏み越えて、楽しさいっぱいの研究を出来ていたんじゃないだろうか、小保方氏は、と思う。だから、そんなレベルのことは、そんなことができてしまう「不思議野郎」がやればいいんだ。小保方氏は楽しいことだけやればいいんだ、ということなのかも知れない。
だから、楽しいことをやろう。
今は安倍政権は暴走して、公約にないことまで決めて、国民不在、民主主義無視、の状態。金を持っている者がより金儲けできるように、能力のない人は能力に応じた待遇を受けるべきで、皆があらかじめ“受けるべき待遇”を受けるようにって感じで。社会的地位を得られる女性を増やすように、社会的地位から程遠い程々の女性達は子育てで阿鼻叫喚でってか。それで対外的には難しい国際情勢を乗り切る風に、靖国問題でアメリカから自立とかってポーズを見せつつ、中国は尖閣諸島問題があるので、インドやASEAN諸国と仲良く、そしてロシアとも仲良くすることにして、北方領土問題の解決、友好条約の締結に向けてオリンピック外交をしながら、ウクライナやクリミアの問題ではEUやらアメリカと対立しても損なので筋を通すーとかやってみたり。
アイドルの群雄割拠とか、アホな奴らの顔を見てると、早く死ね、という状況だ。昔は水汲み、とか、花売りをやっていたかもしれない、使いでのない幼い少年少女の使い道としてはそうなんだろうけど、それは一部のアホな娯楽にしとけ。次の世界ではそのアホな世界にダイヴすることになるのか。人の「深さ」という観点は「深イイ〜」になって、死語のような扱いだ。
何だか、書かねばならないことを書けていないように感じる。数時間前のあの思いつきを思い出せない。もっと本質的なことだ。例の、正の物言い、主張、単に考え、だ。
一つ思い出した、冲方丁が、小説に説得力やリアリティを持たせるには、という方法として、仏教の考え方の「四苦八苦」を取り入れろ、とを書いていたのだ。四苦は、生、老、病、死。残りの四苦は、愛別離苦怨憎会苦求不得苦五蘊盛苦だと。愛する者と別れること、憎い人に会うこと、求めることを得られないこと、と…。
五蘊盛苦は、難しいので、一旦wikiをコピペ。

(しき) =すべての物質を指し示す。この場合、「身体」機能が活発であるために起こる苦しみ
(しゅ) =物事を見る、外界からの刺激を受ける「心」の機能
(そう) =見たものについて何事かをイメージする「心」の機能
(ぎょう)=イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す「心」の機能
(しき) =外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して状況判断を下す「心」の機能

ということで、以上の五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと、だという。冲方氏によると(読み違えてなければ)、五蘊盛苦は、思想や哲学的な悩みなので、他の分かりやすい、老、病、死、愛、怨、求を題材に、とアドバイスをしていた。ううん、自分はそこに囚われていたかも、と少し勘違い。五蘊盛苦があると、他の七苦はゆがめられるのだと思った、というのが昨日の話だ。

そういえば、昨日のフジテレビ「僕のいた時間」は、生きるのが怖い、自分の意志を伝えることができない状態では、という話だった。しかし、主人公は周囲の愛する人たちが自分が生き続けていることを望み、それによって幸せになっているようなので、生きることへの一歩を踏み出す、という結末だった。誠実に作られたドラマで、三浦春馬くんの努力も報われたなと思う。これは、冲方氏が敢えて除いた、生の苦しみを描いていたのかー。それと、弟のエピソードがいい。普通に暮らしていれば引きこもりになっていると思われるほどコミュニケーション下手の彼も、生きる道を探しやがて見つける、という話だ。そしてそれが笑いどころになって後半のストーリーのシリアスさを解してくれる。