極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

三角波

WOWOWで放送した向田邦子原作のドラマ「三角波」を録画で見ています。男男女の三角関係のドラマです。男男がくっつきます。小澤征悦と吉沢悠が演じていて、吉沢くんが小澤くんを追いかける構図ですが、吉沢くんの役が唐突な感じで、小澤くんも男になびく感じが全くしないので、とんちんかんな関係に見えてちょっと可哀想です。

貫地谷しほりがヒロインです。彼女はどのドラマでもロングスカートです。今回のドラマでは白い木綿のレースのスカートにカーキのあったかそうな上着、モカベージュのもこもこのマフラー。アースカラーの服がよく似合っています。

映像はきれいなんですけど、何をやりたいドラマなのか私には分かりません。三角波、という唐突に増幅する波の言葉遊びのように感じます。貫地谷さんがいくらうまくて、キレイに映っていても。

小学校時代の同窓会。誰に会いたいかって?どうも思いつかないです。その理由について何か世を拗ねたようなことを書くのも飽きました。自分のことを書いても、もうどうしようも面白くない、と分かってきました。心のままに楽しいことをする。一見単純なことだが成し遂げるのは難しいとも分かってきました。

昔、モノが今の時代のように大量生産大量消費でなかったころ、使ううちに磨かれて美しさが増して行く民具に価値がある、という思想がありました。生の木肌がオイルを擦り込んで使っては磨き、使っては磨きしていく内に艶が出てくる。いや、じつは、大量生産大量消費の時代になって、時代に逆行したような価値観が生まれたのかもしれません。わたしにはどの価値観がしっくりくるとか、正しいとか、突き詰めると岩盤に突き当たるのかもしれないが、今はどれも自分のものではないように思える。

橋本治の巡礼をもう一度読もう。価値観が時代の流れによって変わり、いつしかどの価値観も価値を失うような、足場の砂が崩れるようなだだ滑り感がヒリヒリして「いい」。いや、「いい(良い)」というのかなにか、それはドラマと言わず社会に投げかけてみたいテーマだ。しかし、それは若者に訴えるのかどうか?怖いけれど試してみたいように思う。そうしたモノ作り、機会作りこそ、心のままに楽しい、のではないだろうか。

実は「おしん」というドラマは、商家への嫁入りを題材としていたのではないか? 家のしきたりには従ってもらいます、というドラマを今の役者で成立させられるのか??「紙の月」は「承認」を求める女たちのドラマだったけれど、憧れを持って商家に嫁入りした女性が、息子の世代から裏切られ、「姑」になれない。「姑」になることでツケを払うはずだったのに。そして、モノを捨てられない、方向に堕落していく、と。