極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

子供染みていてごめんなさい。

自分にとって不可解なのは、なぜ自分が子供染みているかということだった。「なぜ」が分からない。「なぜ」かは分からない。なぜ成長しないのか、と。

「女」になりたくない、という理由が一つあった。男になりたい訳ではない。女、という言葉の淫靡さを恥ずかしがる気持ちがあった。女性なのであって、女とは違う、という位相もあった。しかし、それらとはさらに別の位相で、大多数の人は大人になると男か女になる。電車で乗り合わせた人の顔を見ると、必ず、男であるか、女であるかだ。一瞬区別が分かりづらい人がいても、じっと見ていると分かっている。この自明の理が発見だった。

男の容貌と女の容貌の違いは一体何か。男みたいなオバさんでもオバさんであり、女みたいな少年も少年だ。もちろん性同一障害でその少年の心は女だったという話もある。このあたりは、突き詰めて考え抜いた訳ではない。しかし、認知する側のセンサーに男と女を区別するものがあるように思われる。そしてその二つのタイプしかないのが驚きだ。染色体の区別は絶大だということだが。

ということで、当時の自分は女になることの「選択」(?)が迫られており、それで脳が塞がれたように納得できない、という状態だったが、誰しも男女の二分法から逃れられないと悟って、自然に任せようと観念したのだった。男になるのも難しいし…。レズビアンやゲイピープルの中には男女以外の多様な性がある、植物のような、というトライアルをしている人がいる。男女の性を行ったり来たりする半陰陽の人も染色体異常によるものなのだから、多様な性、といってもどこまでも男女の区別を基礎とするように思う。

閑話休題。子供染みているのはなぜか、躓いたところから動こうとしないから、というのが一つの結論だ。言葉によって自分が個人を離れ、「社会化」されることが怖かった。言葉が怖かった、自分が明らかに社会に絡めとられるからだ。隔絶した自由があり得るものと思っていた。しかし、そうしたものは、幸福な状態とはまた違うことに気づくことになるのだけれど。

今となって、遅まきながら、言語化に再チャレンジ中だ。それは、自分を引き受け、社会を引き受けること。女であることを引き受けること。(といって、女の解釈は自由であるけれども)

社会を引き受けるまでには、紆余曲折があった。引き受けなければ、一生を賭けた復讐、ルサンチマンへの復讐に一生を賭けることになるところだった。堀江貴文氏が「いつまでも過去の事にこだわり続けて恨みの負のエネルギーを出し続けると自分もその、負のエネルギーでやられちゃうんだけどな。」と書いていた。まさに私の陥っていた状態だ。

子供染みている理由のもう一つは、教養のなさ、というものだ。残念ながら私の育った家庭は核家族であり、戦前生まれの両親は貧しさのため、小中学校までしか行かなかった。そうした家庭の出でありながら、いわゆるいい大学に進学するというのは、そもそもハンデがあるということなのだと思う(両親には申し訳ないが、一般論としてそういうことにしてほしい)。高校時代の美術部の活動で映画好きや美術好き、あるいはジャズのような当時の大人の文化に造詣のある人たちと初めて出会ったのに、これもまた経済的な理由だったり、社交性のなさによって、付き合いを深めることはしなかった。教養のなさは今もコンプレックスであり、社交性のなさがそれに輪をかけている。

ついでながら、私には高校時代、修学旅行に一緒の班を組める、組んでくれるような友達はいなかった。それは今でも変わらない。私には友達が少ない。そうした状況は悲しむべきことの筆頭だと考える人もいるだろう。しかし一方で、それによって追いつめられはせず、平穏な高校時代を送ってきたし、現在も友達が少なくても楽しくやっている。それは得難い友人を同居人にできているからだ。この一点はラッキーとしかいいようがない。