極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

モーレツ! 2

眠い。昨日ジムでウォーミングアップ、ジョギング3キロ、体幹トレーニングとストレッチで1時間ほど汗を流した。9月から通い始めて5ヶ月。体重は3キロ位落ち、姿勢がよくなり、前屈して手が半分くらいつくようになった。前進、前進。今日はおかげで内股やら腰やらが痛い。人って変われるんだなと実感&三日坊主ではなく、人の指導を受けず、自分だけで徐々に着実に変えてきていることに思い複雑。このような引きこもり型の向上(?)というのはどうなのか。ちょっと違和感。

汚部屋の解消も進めている。衣装ケース3つを粗大ゴミに出し、ゴミ袋にして5つ以上は要らないものを捨てた。これまでそいつらを溜め込んで、1ミリも動かさずにきた報いのようで、今は空白がぽっかり開いている。日常こまめに整理・咀嚼して、片付けることの良さが沁みた。片付けても片付けても、捨てても捨てても。文具などのコマい奴らが糞詰まりのように切れ悪く残る。人目もあるから、そんなに頻繁にトイレにこもられへんで、と思いつつ、これからも後退させないように毎日の片付けに耐えるのみ。

今日の発見。いつも近所のスーパーで食材を買うが、見事なくらい同じものしか買わないこと。みかんはLLサイズの袋詰めの底値でそれでも498円。いつも底値のモノしか買わないでいると結局同じ銘柄のものしか買わないということになる。桃屋のザーサイややわらかメンマを見つめながら、コイツらは一度も買ったことがない、と思う。お酒も買わない。これだけ銘柄があっても買わない。自分の中では無駄な出費にカウントされているからだ。実際、缶ビールを買っても飲み干さないし、さらりとした梅酒を買っても、濃すぎて飲めない。氷は常備していないし。たとえば、とよのかイチゴが1パック680円で売られているとして、ほとんど買わない。せいぜい買っても398円の酸っぱ目のイチゴだ。

これは重大な機会損失をしてきたことに気づいた。これだけ多様なモノがあり、これらを生み出す人々の要望や創造の豊かさ(と時としてダメさ)がありながら、それを楽しむことをやっていない。そうした楽しみは消費だ、という考えが私を狭くしている。私にとって倹約は子どもの頃からの断固とした習慣であり、洋服には大枚をハタいたことはあっても食べ物にはない。スーパーで生ハムを買ったり、ブルーチーズを買ったり、大トロを買ったりしたことはない。倹約が過ぎるあまり、羽目を外すということがどうしてもできてこなかったこと、モーレツ猛省。