極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

解決法

最近、とあるスポーツ漫画を読んでいる。プロ選手の戦術、トレーニング理論やメンタル面の強化の話が盛り込まれていて面白い。後輩の1人が、この漫画を高校生のときに読んでおけば良かったと言っていたが、同感だ。

ある時、主人公が練習をしなきゃと思い、練習場へ向かおうとすると、コーチが休日をとるようにという。休日をとって、本当にやりたいことだけをやれ、と。主人公は大好きな練習を禁じられて、家で何もすることがなく、ゴロゴロしていたが、デートに誘われて、カラオケに行くことになる。デートの相手は心から好きな女の子なので、彼はコーチの言う通りの休日を過ごしたわけだ。翌日になると、彼はやりたかった練習にようやくありつくことができる。スポーツが好きだと心の底から感じて向き合うことができる。めでたし、めでたし。そうしたエピソードは、頭で、理性で、「しなきゃ」といって練習をするのではなく、本能から楽しめる状況を作るべきなのだと教えてくれる。

私に関係するところで、例えば料理でシミュレートしてみよう。料理は未だに好きになれない。とても面倒だと思う。特にレシピを見て作ることが億劫で、ほとんどやっていないとある時気がついた。一方でおせち料理を作る母やあるいは他の女性たちのことを尊敬し、自分もそうありたいと思っている。しかし、それは遠き道である。実はこの二つは、今まで結びついていなかった。おせち料理はレシピ、マニュアルがきちっとある料理だ。調味料の割合も何も理解していない自分がやるにはとてもハードルが高い。頭で思う理想像はあれど、それに自分が近づこうとするときの労力の大きさを思うと、その時点でドロップアウトしているようなものだ。

おせち料理作りを本能から楽しむにはどうすればいいのか。一品でもいいのでレシピを見て、きちっと作り、味わってみるのがよいように思う。すると今度はそうした料理にチャレンジできたという満足感が次のステップを生むように思う。今まで漫然と理想像を描くだけで、具体的一歩を考えていなかったので、かなり変わってくるだろう。想像上の労力の大きさに幻滅するのではなく、想像上の一歩の「満足感」を味わう。そうしたやり方で本能を刺激するのだ。そしてその料理がおいしければ、本当の意味で本能に訴えられるのだ。人生上の問題解決のシミュレーションのやり方がちょっと分かったようだ。

もう一つ、その漫画の話。主人公は試合の最中に、突破すべき問題点とそれを妨げているプレッシャーの要因をノートに書き出しながら戦っていた。もやもやする感情や理性を言葉で整理して、自覚し、その上で意識から消すのだ。すると自覚する前よりずっと本能を研ぎすませ、上手く体を反応させられる。これは「頭」から「身体」に問題解決法を棚卸ししている、まさに咀嚼・消化しているようなものかも知れない。そして主人公は同時に、問題解決のシミュレーション自体を繰り返し、突破口を求め続ける。プロスポーツの世界で戦うにはこうした能力全開が常に求められるということなのだろう。人間の能力はそれが出来る、と思わされるのが、この漫画のいいところ。高校生のときじゃなくても読んでよかった。今からでも遅くない。

私にとっての問題点を書き出してみよう。

リーダーシップが取れない、取ろうというモチベーションがない。リーダーシップを取るには、あらかじめ仕事をマニュアル化し、そのマニュアルをひも解いて語らなければならない。わたしはもっともらしくマニュアルを語ることが嫌いで、逆に受け身になってしまう。

やりたい企画がない。いや、企画書をまとめきれない。ビジネスとしてきっちり帳尻が合う企画を思いつかない。いや、調べようとしていない。

 マニュアルを語ることが嫌いなのも、企画書をまとめきれないのと同じ理由だ。自分の核がなく、その核にも基づいて人に伝えるという必要なことを回避している。労働を嫌っている。集中力が散漫なので労働が億劫なのだ。集中力を高めるには、順応もいる。本能はそのときどのように働いているのか。働かせるべきなのか。