極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

昨日の課題

昨日の課題はこうだ。なぜリーダーシップをとろうとしないのか。

今日新たに出てきた課題はたとえばこんなこと。今日もアシスタントたちの愛想のなさに心を乱されたが、こうした怒りのタネはどうすべきか。さしあたり自分には非がないことなので、安心する。これでどうだ! さらにもう一歩進めて、自分からもっと愛想良くする。これができれば前進だ。

心技体という時の「心」、メンタルを向上させることが当座の課題だ。師を持つことをおそれてはいけない。これまで心から尊敬できる人は残念ながらほとんどいない。私の仕事ぶりを認めてくれた総務のHさん、副社長、Hさんが代表だ(みんなHさん…)。そして長くお世話になっている夫妻(人柄はちょっと癖があるから懐けないけれど)。先輩がことごとく能力の高い、尊敬できる人たちなので会社員を続けている。そのことを思うとちょっと泣けてきた。見返りの少ないポジションで自分が居続けてきたこその感慨だから。

最近も、仕事上でうれしかったことは、反吐が出そうなほど面倒くさいアーカイブ作りを1人でやっていたことを認めてくれたスタッフがいたこと。MさんにTくん。若手のMさんは、住所録があったので助かった、最近は更新されていない、と言っていた。更新されていないのは無理もないと思うし、残念だが、新人だったMさんの役に立っていたならありがたい。Tくんは駆け出しの頃から一緒に仕事をしてきて気心も知れているが、○さんはめちゃめちゃ仕事をしていた、今二人いるスタッフと同じ分、と認めてくれていたのはうれしかった。後任のタマが落ちているのはこれも残念だ。彼らに非はないが人と人の仕事のスキマを埋めようと言う責任感が私にはあるのだ。それは今もそうだ。落ち穂拾いのように仕事をするのがスタイルだ。(大きな穂を刈ること自体に興味が薄いのは問題だけど。)

スタッフ間の連携とはそうしたものだと思う。スキマを埋めるのが仕事だと思ってやってきた。今、そうしたことができていないのが悲しく、怒りを巻き起こす。自分にも後輩にも。雑談、愛嬌はまさにそういうスキマの仕事だと思う。

ということで、リーダーシップの心とはなにか。私としては後輩たちを下支えすることによって、全体のパフォーマンスを上げたいと思っている。たとえ失敗が多い後輩でも、愛嬌をもって、ドンマイ、気にしない、気にしない、で共に乗り越えて行きたい。その心は所謂リーダーシップとは異なるので地味だけれど、その基礎の上にこそ所謂リーダーシップを築いていきたい。地味な感情労働をシカトする人に対して怒りはあれど、それを乗り越えることこそが私の目指す仕事だ。