極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

20歳

成人式にちなみ、20歳の自分にアドバイスしたいこと、そして20歳の自分が今の自分を見て思うこと、の2題。

わたしの20歳は自己解体とともにある日々。わたしがわたしであることが信じられない。言葉なき赤子として生まれ、周囲の人々の言葉を映す鏡であり続けた「わたし」らしきヒトが、どのようにしてわたしを騙って語りはじめたのか? そんな問いに追いまくられ離人症のようになっているのが20歳のわたしだ。はたまた音楽を聴いても本を読んでも頭に入らない無気力の固まりのようで未来を全くイメージできない状態の20歳のわたしというのもいた。そんな20歳の成人式は部活動で師匠に稽古をつけてもらい、蔵元が特別に師匠に贈る水の如き清酒をいただいた。他のことでは鳴かず飛ばず吹奏楽のような不得意なことを敢えてやろうとし、得意なことを探すことはしなかったのに、その部活だけは多少は性にあったらしい。その年の次の春にはその部活で大きな稽古会を催すので、わたしは大きな役をいただいていたかその前年だったか。成人式を師匠に祝ってもらったことは今思い出しても幸運だった。

当時の自分にアドバイスしたいのは、その部活を選んだのは大正解で、先人が築いたセオリーに基づいた「型」を積み上げ、体に染み込ませることによって、文化の体系に触れ得たことは大変得であり、ラッキーだということ。内面の雑念に取り巻かれていたわたしを救ったのは、無私や無心の境地を善しとする伝統芸だった。

さて、20歳のわたしが今のわたしを見ると「風采が上がらない」と思うだろう。一方で今わたしの元にいる人生の伴侶らしきヒトはその後22歳で出会うことになるから、その後22歳になったわたしはアレがコレかと知って愉快になるだろう。そしてもう少し人生にマキを入れて、子を生していたかも知れない。