極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

就職以前

就職をしたのは29歳のとき。それまでは、今の言葉で言うとメンヘラ、重度の中二病、色々と悩み事を抱えていたが、遅まきながら学問の道を目指すのをやめて社会に出て、身を立てなければならないという状況だった。つき合っている人間と一緒になるためにも親から自立して働く必要があった。休学手続きをとって学費を浮かせながら、大学の寮に巣食い、生活費を稼ぐためにバイト生活をしながらの就職活動。親の手前どうやって2年も留年したのか、仕送りをまだもらっていたのかどうかも忘れてしまったが…。

マスコミの中でも新聞社やテレビ局に志願したが、年齢制限にひっかかり、まともに受けられたのは、1次試験で面接も受けられた朝日新聞社のみ。その後、テレビの制作会社の1社に受かり、そこに就職を決めた。他に希望していた2社には落ちた。今思えばもっともな結果だと思う。浮世離れした当時の私なら、私が試験官でも落としただろう。

一方で本格的なドキュメンタリーを作っている会社は説明会には参加したが、なぜか受験を避けてしまった。大学時代、演劇をやりたいのに、別の古典芸能のクラブに入ったり、軽音楽部に入ったりしたのも同じような心理だ。ただ天邪鬼ということなのだろうが、夢をストレートに語ること、夢になりきること、が苦手なのだ。

とはいえ、演劇部に入っていたら今頃どうだっただろう。人間関係が濃くて、お互いの内面に入り込んでくる環境があったなら、私の実存的な悩みも一端ぐらいは吐露していただろうか。

軽音楽部でも古典クラブでもそうした人間関係を築かなかったので、自分の悩みを人に話した記憶がない。そして、今どきの言い方でいえば、悩みをこじらせてしまったのだ。

etc.