極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

音声入力

コーチングやカウンセリングを受けたいという思いがある。文章を紡ぐのに苦手意識があるからだ。人と話すことで自分の思いをまとめたい。人と話せば自分が考えていることが言葉にまとめられるんじゃないかと思うからだ。その代わりに今回は音声入力で書いてみる。

社会性が低いのが悩みだ。社会性があるということの一つは社会に流通する、文脈や文法にかなった文章へと流れるようにまとめながら話せること。とりとめもなく話すのではなく文章になっていること。話し始める時にはもう話し終わりの言葉が決まっているように話すこと。言葉というのは、あるいは思考というのは、話しながらまとまっていくもので結論が決まってことばかり話すのではないけれども、文章が書ける書けないというのは、そのまとめる能力に関わっている。自分ながら気になっているのは、まとめる能力の低さだ。思いつくけれども最後まで行き着かない。最後まで行き着かないのに、完成形はないのに、思いついたことに酔いしれて、そこで遊んでしまう。足踏みしてしまう。足踏みして最後まで行き着こうとしない。最後まで行き着こうとしないこと自体は、悪いことばかりではない。新しいことを生み出すには、結論が分かっている、分かり切った結論に行くだけではおもしろくない。面白いことがまでない。そういう方法論が先に立ってしまう。方法論というよりは、結果を思いつけないことの言い訳になってしまっている。

言語でまとめることの能力の低さはそのまま社会性の低さだし、その逆も成り立つと思う。社会に流通する考えに共感する力が低い。自分のことばと社会の言葉の共通点をうまく掬うことができない。自分のことは自分のこと、社会のことが社会のこと、というふうに分離してしまっている。ネット用語で言えば、ぼっち状態。もっとわかりやすく言えば引きこもり状態。こんなことは何度も考えている。自分に社会性を持たせもっと言葉を豊かに話せるようにするには、どうしたらいいのか。

どういう人とのつながりを作れば良いのか。今はそのことを考え、実行する段階にある。その1つの手段がカウンセリング、コーチングなのだが、そこで得られる人間関係が自分が欲しているものである可能性は低い。望み薄だ。師匠がほしいという思いもあるが、会社の中でも自分の考えを伝えてもいいと思える先輩はとても少ない。大抵は考えが伝わらない。今のように企画書をひとりでまとめることも、効果がないわけではない。人の考えに合わせることが苦痛というよりは、自分の考えを人に伝えた時にかなりズレた形でしか伝わらないことが苦痛だ。今の自分の状態のもう一つのあり方だ。つまり人とつながりをどう持てばいいのかということと、自分の考えを自分が満足いく形でどんなふうに人に伝えたらいいのか。それには人を選ぶ必要があるのか。それとも自分の考えを人に合わせるのか。今までは自分の考えを人に合わせるのではなくあえて自分の思う所は言わないでいた。この人には自分の話が分からないから、話さない。その繰り返しだ。自分の話が伝わりそうな相手に自分の考えを伝えること。それを今一番望んでいるんだけれどもそれがカウンセリングやコーチにいいものなのか。そんなことが成り立つのかどうか。

ともあれ音声入力は、相手を選ばないからいい。というより相手は自分だから、まずは自分が納得いくように自分の言いたいことをまとめることが先なんだ。同居人は留守でなければいけないけれども。

企画について。この小説がドラマに何故向いているか。小説自体の欠点はあるのだけれど。欠点の一つ目は、SF小説だと思って読んだ読者を裏切っている。主人公の自殺の原因が明解でないこと。主人公は、家族の幸せを重んじることにそのことによって自殺するのだけれども、分かりづらい。そうした欠点があるのだけれども、自分の死をめぐるサスペンスだということ。自殺の原因が本人にも分からないということがミステリーになっていて、先の展開を追いたくなるのがいい。