極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

泣いた面談の話

ジブンの心の痞(つか)えと言えば、中学時代の面談。それは1年の時の担任の女教師。実家は保育園というお嬢で美人でまだ若い美術教師。彼女が何か悪いというわけではないが、母を含めた三者面談で「成績を落とした方がいい」といったことを言われたような…? それにはクラスメートからアナタが成績の良さを妬まれるから、という文脈もあった。小学生のときは児童会の選挙にも出るような委員長タイプだったのに、中学になってからは、表に立たなかった。表に立たないのは、それを人から望まれなくなったことと、ジブンからも求めなくなったことの両方が理由だ。ジブンが立候補という形で前に出ようとすることが恥ずかしくなったのだ。

小学生のときは、それこそ何か学年全体の発表会でマイクの前で進行台本を読み上げる係もやったことがあった。しかし、小6のクラスの同窓会で京都に行ったときのこと。担任がその時の記録を当時珍しいビデオか8ミリに撮った映像を見ると、カメラ前で急にぎこちなく格好をつけて歩いているジブンが映っていた。そして先生にからかわれた。自意識過剰という言葉を知ったのはその頃だろう。人前で漫才をやるくらい恥の感情と無縁だったのに、そのころから意識がジブンに向かって行った。とてつもなくみっともない髪型をしていたことは、遥か未来にならないと気付かなかったけど。

そして、例えばクラスメートの人望を集める、ということが、ジブンが考えている筋道と違っていることに気付き始めた。彼らは例えば弱い自己を乗り越えて、努力する人に共感する。ジブンも確かにそんな人をスゴいな、と思っただろうけれど、その思いを皆と共有する、ということには思い至らない。共感という評価軸がジブンにはなかったのかもしれないと思う。端的に言えば、人と同じはイヤだし、苦労を共にするならともかく、甘ったるいのはさらにイヤなのだ。また、ジブンの意識としては、ジブンには悪意はないのに、悪意があるように人からは解釈される、と感じていた。そして、人に従ってジブンを変えるのはイヤなのだ。彼らに義があるとはさほど思えなかったから。そのことはつまり「共感」を良しとしないからなのだった。

面談の話に戻る。美術教師にジブンではどう思うかを話せと乞われたかと思う。ワタシとしては、ジブンにはアタらないことを言われたようで、悔しかったらしい。何も言えず、泣いていた。何故ひと言も話せないかなんて、聞かれても、言葉が出ない、声が出ない。給食を全部食べるまで残されているような気分だ。

ワタシは確かに球技大会の練習を怠けて、クラスの女子からシカトされた。それは2年生だったと思う。それと美術教師は関係がない。一体、彼女から何が原因でジブンの弱点を突かれたのかが今となっては思い出せない。とにかく母もいる席でジブンが問題児のように扱われるのは初めてだったと思う。何か不当だという思いがあって、声を出したとしても、オノレの筋道でだけ正しいことを言う人には、ジブンは理解されないことが分かっていた。そんな相手にモノを言うのは馬鹿馬鹿しかったのだとも思えてきた。しかし、冷静だった訳ではない。泣くことで悔しさと不快感を示していたのだ。