極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

錯乱から脱するためのメモ 弐

ポレポレ東中野で「ある精肉店のはなし」、ハナブサ監督作を見ました。テーマ選び、全体の構成、申し分のない映画だった。一家と貝塚市は勇気のある協力をされたと思う。長女が読み書きが出来ず愛情表現がへただった亡き父の話を話すときの表情が魅力的だった。父が命をいただいた牛の皮を剥がし、解体をしていくのに、長女は布に引っ掛けて牛の脚を持つ。支えがあってこそ重いモノを切り裂くことができるのだ。子どもだった長女は手にご飯を食わせ、と言われる。力の限り、踏ん張って支えろと。そもそも子どもなので力はまだ弱いのに。それでも自分が支えられなければ、父がケガをしてしまうから、必死だったという。労働で結ばれる絆。子と親同士の不器用な愛着。虐げられた人々の恨みを超えた慈愛。こうした情緒が伝わった。

だんじり祭りと太鼓作りがと殺の仕事をつながっているという話もいい。被差別の彼らの部落がだんじりを持っていなかったが、意地でもってお金を集め、立派なだんじりを持つ話もいい。わたしの地元も新興地で古参の集落と違って神社をもたず、神輿もだんじりも宮入させてもらえなかったことがあった。そして、ぼろを着てても心は錦、というか、普段着でも継ぎ当てがあっても洗濯を良くしてきれいにすべき、それがそのまま正装で通用するといった話もいい。どれも地に足の着いた、庶民の歴史が刻まれている話だ。わたしが子どもの頃から親しんでいた世界の話だ。わたしにとって「懐かしい」映画だ。ハナブサ監督にあったら、サインをもらおう!

・活動家嫌い。なぜかレッテル貼りをしてしまう自分がいる。ヤツも同じ意見なのでさほど特殊な感覚ではないはずだ。

東海テレビのドキュメンタリー、戸塚ヨットスクール話をヤツとする。入所しながら自殺してしまった女の子がいた。人との関わりが上手でなく、気を遣いすぎて却って嫌われてしまうということを繰り返してきたような女の子でとても痛々しかった。引きこもってしまう人の一つのタイプだと思う。訓練が必要だということで、同じ境遇の子どもがやってくるスクールに来たのだろうけれど、まだつきっきりで見守ることが必要な状態だったのだ。この事件のあと、40歳を超えた男性が入所してくるところで番組は終わった。

・趣味人たちがわちゃわちゃする感じ。歴女、とか、鉄ヲタとか。アクセ好きとか。しょこたんとか、本物で。ドン・キホーテとか、ほんまでっか、のような。