極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

脱汚部屋日記 壱拾四

台所の電灯と居間というかワタシの部屋の電灯を交換。これでワタシの部屋の暗さが緩和された。後は蛍光灯を替えて、カバーをつけるだけ。

会社の近所のアジアン家具屋に丸太のスツールが展示されているのが気になる。決算セールとな。100均で派手なデザインの簡易バッグと紙袋を買う。また名刺をファイリングできない症候群なので、来たモン順に差し込む作戦でカードボックスを買う。仕切りがある良いのがあった。寝間着を入れるカゴを物色したがさすがに安っちいので、新宿のルミネを通りがかったときに雑貨屋を物色。ベトナム製のカゴ、3500円程度があったが、必要なのかどうか。ディスプレイのテーブルが例の鉄脚&アンティーク木材のものだったので値段が気になる。あと1人掛け用ソファーや椅子。これも買うのは躊躇する。しかし、今部屋にある2人掛けのソファもどきは少し座面が壊れているし、いくら小さいと言ってもやはり場所は食うし、物置きになってしまうし…、普通の座面高の椅子は結局座らないだろうし…。

底値主義を脱して、欲しいものを欲しいと感じるように、好き嫌いの感覚を慈養しようと考えるが、それは意外と難しい。前は洋服を探して散々時間を費やしたけれども、今はあまりする気が起きない。それは焦燥と一体だった。なぜならば、①これだ!という欲しいモノがあって、②自分のお金で買うなどして手に入れられて、③似合う、④持っていることの楽しさが持続する、ということが三拍子揃うのは難しい。洋服に関しては絶望的だ。③がまずもって難しい。①もそうだ。それに比べると②は重要度が低いかも知れない。④については、エネルギー問題と関係する。消費文化、蕩尽文化というのか、便利さを追求し、人間が制御できない原子力エネルギーに頼る、というあり方を是とする積極的な欲望が湧きづらい。一方で欲望に忠実で快楽主義である人も多い。彼らこそが文化を開拓しているのは間違いないと思うと同時に、それらに嫉妬する感情がある。それらの矛盾した感情がワタシを萎縮させる。

しかし、矛盾した感情や選択肢に惑わされることこそが人間らしいような気もする。で、人間らしさがなんぼのもんじゃという気持ちも在るけれど。

まずは、①欲しいもの、を強く念ずること、心の解放を一番望んでいる。