極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

ありきたりでも

どんなときもーどんなときもー…頭の中にまたありきたりの歌が流れている。モノを申すということは恥じらいをなくすことであり恥じらいをなくすことを自分にも他人にも許すことであるように思う。「これからの日本の農業は国防の観点で食料自給率を回復する意味でも、今のような親から継ぐ家業にとどまり、新規参入が難しい産業であっては厳しい」、というようなことを大勢の前で論じたりする。その論は「わたしが知っていることを話すと〜」といいながら実はみんなが知っていることを話すという恥じらいのなさだ。エラい人はそうやって「間合い」を読んで議論の皮切りとなるネタふりをしなければならないのだけれど、わたしはどうしてもそのような恥ずかしい物言いをしたくないと感じる。

これ以外にも自分の中のチグハグな矛盾を書き出そうと思う。そうして体をオイッチニサンシと動かすときに、足や手の向きがテンデンバラバラで向かう方向が絡まるのを解きほぐし、すんなり前後左右に動けるようにしたい。