極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

痛々しい

角田光代原作のNHKのドラマ「紙の月」。原田知世演じる主人公は、銀行のパート主婦。結婚と同時に専業主婦となり、今40歳を目前にして子どもがなく、生き甲斐を求めてパート勤めをはじめた。その彼女が1億円の横領に手を染めたのはなぜか、というミステリー仕立ての女性向けのドラマだ。原田知世が、光石研演じる夫から、存在意義をことごとく否定される。パートに出ても出なくてもウチも社会も何も変わらない、大したお金にならない、ウチはパートの稼ぎがなくても困らない、夫にごちそうしようと誘った居酒屋では、パートの給料ではこの程度と言われ、夫に買った腕時計もゴルフのときにつけるならこれくらい安いものの方が安心だ、箱入り主婦のオマエがやってもやらなくても変わらないパートでそんなに無理をしなくても…、上海勤務になっても応援するってオマエに許可なんか求めてないよ…、手を変え品を変え、自尊心を壊し、人格否定をしていく。

夫の心ないセリフの数々を聞いていると、あくまでドラマでやり過ぎ感もあるのに、原田知世が本当に痛々しく可哀想になってきて、目が離せない。

一つ、このことで分かるのは、人の尊厳にわたし自身が等身大で共感している、ということ。たとえばドラマ「僕がいた場所」では、新入社員の三浦春馬が、契約スタッフの上司から「新卒で正社員のやつでも出来の悪いヤツいるんだな」というような嫌味を言われて怒りと落ち込みの両方を感じる、というのも共感する…。

人に必要とされたい、という思いは研ぎすまされた、純粋なもの、神聖なものなのだ。人格、プライドというのはそういうものだ。それが侵されるのを見るのは本当に忍びないと感じるが、一方でそのことに全く頓着しない、死角にいる人がいる。わたしとて、誰かの人格の死角になっているのかも知れない。