極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

今年の読書

この一年で読んだ本の冊数はちょっと分からないが、その感想。

今年の読書で一番大きなトピックは、高村薫の「冷血」上下巻にはじまって、福澤彰之シリーズ「晴子情歌」上下巻、「新リア王」上下巻、「太陽を曳く馬」上下巻をすべて読破したこと。村松恒平氏の文章修行をする人向けのメルマガ上での問答を書籍化した「文章王」シリーズを知ったこと。

読書感想文は「書きたい」ときに本来は書きたいが、最近の自戒として、書くのが面倒という気持ちを抑えてあえて書きはじめ、そうしてはじめて湧いてくることを「書きたかった」こととしてとりあえず書き留めることにしたので、やってみようと思う。(しかし「書きたい」気持ちとは何なのだ? 書く、すなわち、面倒と思ってしまうのはなぜだ? 書いたものを修正するのは苦ではないのに。)

さて、高村薫作品についてはファンを自認している。特定の作家の作品で続けて読んだのは、中上健次村上龍筒井康隆星新一大江健三郎夏目漱石有吉佐和子山崎豊子桐野夏生島尾敏雄松浦理英子山岸凉子くらいなのだが、現役作家の中でも殊に高村薫の小説を読むと深い満足を覚える。緻密な描写や盛り込まれた情報が硬派で心地よく、また何よりも「冷徹な視点」がしっくりくるのだ。

今年はじめに読んだ「冷血」は犯罪心理に迫った作品だ。検察は供述調書を取るために「犯罪動機」に基づくストーリーテリングを是とし、容疑者にその筋に載った自白を迫るが、そのときの犯罪動機は往々にして犯罪者がなす「理由なき犯罪」に一致しない。「冷血」の主眼はそこにある。そして、国道10号線だったか、社会の構造変化を幹線道路の情景として網羅し、社会の縮図を「地図」上に描き込んでいるのが面白い。この作家の作品を読むと情報の豊富さ、分析力、構成力、登場人物との距離感(突き放しているが悪役として非難はしない書き方)等々、本当にしびれる。

「晴子情歌」は前に一旦読むのを断念した作品だが、今回は面白く読んだ。東北の近代化以前、春の漁師町にもたらされる鰊の水揚げの情景は圧巻だ。そして「新リア王」は青森の原発行政の裏側の政争を描いた作品だ。どこまでがモデル小説なのか探ってみるのも面白いだろう。「太陽を曳く馬」では高村薫なりにオウム事件の咀嚼を目指した作品なのだろう、宗教問答が描かれる。一方で主人公の彰之は、生活者としては知能に問題のある女性との間に子を生し、その子が犯罪を犯すという家族ドラマを負い、宗教者としての理想や倫理によって引き裂かれている。哲学や思想とドラマが多層に折り重なった小説作品だ。ここまでの「全体小説」をものすることができるとは! ノーベル文学賞村上春樹に、などど言っている人には、この人を見よ!と言いたい。鰊の水揚げの情景は明治時代の労働の姿だが、晴子の青春時代の情景でもあり、とても瑞々しい。高村薫の筆力はハードボイルドだけを得意としているのではないと分かり、感服した。

今思い出したが、村上春樹の「1Q84」も今年読んだ。村上春樹の小説は「世界の終わり/ハードボイルド ワンダーランド」や「羊を巡る冒険」「ノルウェイの森」やら色々挑戦してきたが、それまでどれも読み通せたことがなかった。田舎出の人間や、情念否定、というのだろうか、都会人の小説というものらしい。都合のいいセックス好きだったりセックス嫌いだったりする女性像や「やれやれ」というばかりの男主人公たちも気に食わない。オウム事件の被害者のルポ「アンダーグラウンド」は全部ではないにせよ興味深く読んだけれど。

「1Q84」は一応通して読んだ。新興宗教家の娘が次の神の子を孕む、その不思議な娘に見出された作家志望の男と、宗教家の元に刺客として送られる元新興宗教の信徒の娘のラブストーリーいう話は面白いと思った。しかし何なんだと、無駄話が多く感じる。高村薫の小説は無駄なところがなく感じるのに。

 ついでながら、アニメ作家の新海誠村上春樹の熱狂的なファンと最近知って深く納得した。村上にも新海にも熱狂的な信奉者がいるのが共通している。そしてどちらも中二男子が好みそうな、内股で買い物走りをしそうな女性像を得意としているのが共通している。やれやれ。そんな村上春樹が100万人のファンを囲っているとは! あらゆる個人の趣味性は認めてやらねばと思うが、この岩盤のような熱狂的多数派の勘違い野郎&女子たちがまき散らす大衆性の毒はどうすればいいのか。

どうにかして、社会の問題に向き合いたいとわたしは思っていて、高村の小説の方を買うのだろうと思う。村上春樹の小説は読んだことを忘れたくらいなのだが。