極子日子

つぶやくように書いて書けるようにするための雑記

暴言には程遠い日記 六

・8日火曜は5キロ走りました。初手は軽々と走れるようになりました。短い順路から長い順路へ回るコースにしました。1.3キロ、2.5キロ、1.3キロ、というようなコースです。初めは楽ですが、中盤からキツくなります。本来、ランニングハイが来れば、一旦苦しくなってから、また速度が上がる訳ですが、最初の1キロでトバしすぎるからか、2.5キロを折り返して、あと500メートル位になったところで、ペースダウンしてしまいます。そこを超えればハイが来るのかというとそうはならず、死闘コース(?)というと大げさですが、苦しさに耐えてゴールを待ちわびる時間に入ります。ここで気持ちよくなってハイになれるんだったら、マラソンいけるでしょ!ってな都合のいい話です。走行時間は35分ほどです。

走る間はイメトレの時間です。自然に親しむ山中のコースやら、いずれ青森まで車中泊ドライブをするのが夢ですから、海辺のコースやらを想像します。次回また走るのが楽しくなるようにイメージを植えています。死闘コースになってからは、浅田真央のソチでのフリーの演技のエンディングやら、某テニス選手の輝くような笑顔やらを思い浮かべました。文句なく輝いている状態の人たちです。そうした驕りのない立派な人のあり方こそが理想です。そうしたことを思い浮かべながら、努力なんて簡単だと思いました。努力で済むなら簡単だ。能力や才能って話になると寂しいですが、走る時間はイメトレの時間に充てることもできるし、そうした努力はそれなりにできそうです。ハーフマラソンを2時間で走る同級生の成績に追いつく努力も難しくなさそうに思いました。今が人生で一番リラックスして、充実しているように思えて来ます。明日も走るか!

・実家から電話があり、かけ直しました。新しい番組に移ったよ、お父ちゃんのいうしょーもない連中の出る番組や、と言ったら、そうか、しょーもない奴らが出るんか、と応えてくれました。

・今日は、「嫌い」や「苦手意識」「怒り」のメカニズムをテーマに番組が出来ないかと思ってググりました。野菜嫌いの原因は、毒を避けるために本能に埋め込まれた、不味いやら苦いやらの負の記憶、とか。克服法はあるのでしょうか? 虫嫌いとか、動物嫌いは? 結構甚だしい場合がありますけどね。「好き」のほうも、結構幼少期の傾向がオトナになってもそのまま作用するようです。前に日記に書いたけれど、自分の場合、「深さ」へのこだわり、たとえば深遠な雰囲気の絵画、重厚な演技、といったものを評価する傾向があるのは、幼少期からそうだったのでしょう。儒教的な理想郷というのか、品格を重んじ、倫理的にも優れ、清貧の中にあって老荘的な自然の境地を体現している人物を評価するのも、子どもの頃からの育った環境というか、父母から受け継いだ理念に影響されてのことなのでしょう。それがオトナになってもつきまとって、娯楽、享楽を愛することがとても難しいのです。自分がしょーもない番組やオタク番組を手がけるのも、得意技を伸ばすというより、苦手克服を続けているような感じです。異文化理解を続けている、とも言えますし、出自との戦いといった意味合いもあるでしょう。

・ではなぜ、敢えて好きなモノを迂回するように、自分は出自と戦うのでしょうか? 伸ばすやり方もあるのに? それは、お客さんが多い多くの人に喜んでもらえるように、です。オトナの振る舞いそのものです。